筋肉は収縮している。でも、その力はどこへ行った? ―「力がこもる身体」と「力が伝わる身体」

query_builder 2026/08/12
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トレーニングやスポーツの世界では、「力を出す」という言葉をよく使います。

「もっと力を入れて」
「しっかり踏ん張って」
「筋肉を強く収縮させて」

こうした言葉は、決して間違いではありません。


筋肉が力を発揮するためには筋収縮が必要ですし、

より大きな筋力を発揮できることは、スポーツでも日常生活でも大きな意味を持っています。


しかし、身体を実際に動かしたり、人を押したり、物を持ち上げたり、

武道の稽古をしたりしていると、一つの疑問が生まれてきます。



「筋肉が強く収縮していること」と「大きな力が外に伝わっていること」は、

本当に同じなのだろうか?


力をいっぱい入れている。

本人も「力を出している」という感覚がある。

筋肉も硬くなっている。顔まで力んでいる。


ところが、思ったほど相手には力が伝わっていない。


逆に、それほど力んでいるようには見えない人が、

驚くほど大きな力を相手や物体へ伝えることがあります。


この違いは何なのでしょうか?


私はここに、日本古来の身体操作を現代に活かしていくための

大きなヒントがあると考えています。



筋肉が収縮するとはどういうことか


まず、現代科学で分かっている筋収縮について簡単に整理してみましょう。

骨格筋を細かく見ていくと、その内部には筋原線維があり、

さらにその基本単位として「サルコメア(筋節)」があります。


サルコメアの中には、主にアクチンとミオシンというフィラメントがあります。

筋収縮では、カルシウムイオンによって収縮の仕組みが動き始め、ミオシンがアクチンと相互作用し、

ATPを利用しながら両者の位置関係を変えていきます。


これが一般に「滑走説(sliding filament theory)」と呼ばれる筋収縮の基本的な考えです。

重要なのは、フィラメントそのものが単純に縮むわけではないということです。

アクチンとミオシンが互いに滑り込むように位置を変えることで、サルコメア全体が短くなります。



その結果、サルコメアの両端にあるZ線同士の距離も近づきます。

この現象が多数の筋節で起こることで、筋全体として張力が生まれます。

では、

筋肉の中で大きな張力が生じれば、それだけで「良い動き」になるのでしょうか。


ここからが、身体操作を考えるうえで非常に重要なところです。



「筋収縮」と「アウトプット」を分けて考える


筋肉が収縮して張力を発生させることは、運動の重要な基盤です。

しかし、人間が行う運動の目的は、多くの場合、

筋肉を硬くすることそのものではありません。


歩く、走る、投げる、跳ぶ。

物を持ち上げる、相手を押す、道具を振る。


つまり筋肉で生じた力を使って、

自分自身や外部の物体に何らかの作用を与えることが目的になります。


ここで考えたいのが、

「筋肉の内部で力が発生すること」と「その力が目的とする場所へ伝わること」は

別の問題であるということです。


例えば、人を両手で押してみます。

一生懸命押そうとして、肩をすくめ、首を固め、肘を突っ張り、歯を食いしばってみてください。

本人の感覚としては、ものすごく「力を出している」はずです。


実際、多くの筋肉も活動しているでしょう。


しかし、その筋活動のすべてが、相手を動かす方向への力として

有効に使われているとは限りません。


身体の一部を固定するために使われている力。

姿勢を崩さないために使われている力。

本来必要のない場所で起きている緊張。

互いに反対の働きをする筋群が同時に緊張することで生じる身体の硬さ。


そうしたものまで含めて、私たちはしばしば、

「ものすごく力を使った」

と感じています。


ここには一つの落とし穴があります。

「力を使った感覚」と「外へ伝えられた力」は必ずしも一致しないのです。



「力がこもる」とは何か


私は指導の中で、このような状態を「力がこもる」と表現することがあります。

もちろん、「力がこもる」は筋生理学の正式な専門用語ではありません。


ここでは身体操作を理解するための表現として、

筋肉は強く働いているのに、その力が目的とする方向へ十分に伝達されず、

身体内部の緊張として強く感じられている状態

を「力がこもる」と考えてみます。


これは「筋肉を使ってはいけない」という話ではありません。

筋肉が働かなければ身体は動きません。

問題なのは、

「どれだけ筋肉を収縮させたか」だけを力の基準にしてしまうこと

なのです。


力を出そうとした瞬間、肩が上がる。

拳を握ると腕全体が強く固まる。

速く動こうとすると息まで止まる。

重いものを持とうとすると、必要以上に全身が緊張する。


こうした反応は、多くの人に見られます。

そして本人にとっては、この緊張感そのものが「力を出している感覚」

になっている場合があります。


ところが身体操作という観点から見ると、その力の一部は目的地へ届く前に、

身体を固めることに使われている可能性があります。


だから私は、

「もっと力を出してください」

だけではなく、

「その力は今、どこへ向かっていますか?」

という問いを持つことが大切だと考えています。



「力を出す」から「力を伝える」へ


ここで発想を少し変えてみます。

筋肉を「力を作るもの」としてだけではなく、

身体を通して力を伝えるためのシステムの一部

として考えてみるのです。


例えば、人を押すという単純な動作でも、腕だけで完結しているわけではありません。

手が相手に触れている。

手首があり肘があり肩がある。

そして、体幹があり、骨盤があり、股関節がある。

また膝があり、足部がある。

そして最後には地面があります。


反対に考えれば、地面から受ける力を身体全体の構造を通して、

相手との接触点まで伝えているとも言えます。


このとき、身体のどこか一ヶ所だけを過剰に固めれば、必ず強くなるとは限りません。

必要な安定性を保ちながら、それぞれの関節や身体部位が適切な位置関係を持ち、

目的とする方向へ力を伝えられることが重要になります。


つまり、

「筋力があるか、ないか」だけではなく、

「持っている力をどう通しているか」という視点が必要になるのです。



「脱力」は力を抜いて弱くなることではない


日本の武術や武道を学んでいると、「力を抜け」「脱力しろ」と言われることがあります。


この言葉は非常に誤解されやすいものです。

脱力という言葉だけを聞けば、

「筋肉を使わない」

「身体をフニャフニャにする」

「力を出さない」

という意味に聞こえるかもしれません。


しかし、それでは人を動かすことも、自分自身が素早く動くこともできません。

私は脱力を、

必要な筋活動までなくすことではなく、

目的とする動作を邪魔する余計な緊張を減らすこと

として考える方が実践的だと思っています。


必要なところは働く。

しかし、必要のないところまで一緒に固めない。

必要な瞬間に力が生まれる。

そして、その力が身体の中で止まらず、目的とするところへ伝わっていく。

そのために余計な緊張を減らしていく。

そう考えると、「脱力」と「力を出すこと」は反対ではありません。


むしろ、

より良く力を伝えるために、不要な力を抜く。

これが身体操作としての脱力の一つの意味だと私は考えています。



日本語に残る身体感覚


興味深いのは、日本語には身体を使った表現が非常に多く残っていることです。

「肩の力を抜く」「腰を据える」「腰が引ける」

「腹を決める」「肚が据わる」「身を任せる」

こうした言葉は、現在では心理状態を表す比喩として使われることも多いですが、

その背景には身体と精神、心を完全に切り離さずに捉えてきた文化があったことを感じさせます。


もちろん、これらの言葉がそのまま現代の運動科学を説明しているわけではありません。

また、昔の日本人が現代の筋生理学を理解していた、と言うつもりもありません。


しかし、古くから伝えられてきた武術や身体文化の中には、

「局所の筋肉をどれだけ強く働かせるか」だけでは身体能力を捉えない考え方

が存在しています。


身体全体のつながり。

重心。

間。

呼吸。

足と地面との関係。

相手との接触。

力の方向。

そして、必要以上に身体を固めないこと。


こうした視点は、現代に生きる私たちが身体を考えるうえでも、

大きなヒントになるのではないでしょうか。



現代トレーニングと古い身体操作は対立しない


ここで誤解してほしくないのは、

「筋力トレーニングは間違っていて、古武術の身体操作が正しい」

という話ではないということです。


筋力は重要です。特に現代スポーツでは。

筋量や最大筋力、パワーを高めるトレーニングには、

スポーツパフォーマンスや健康という面でも大きな価値があります。


しかし、

筋力を高めることと、持っている筋力を効率よく使うことは、

まったく同じ問題ではありません。


例えば大きなエンジンを積んだ車でも、タイヤが空転していれば、

その能力をすべて前進する力に変えることはできません。


身体もこの例に少し似ています。

筋肉が大きな力を生み出せても、その力を目的とする運動へつなげられなければ、

能力のすべてをアウトプットできるとは限りません。

だからこそ、

筋力を高める。

そして同時に、

その力を身体全体でどう扱うのかを学ぶ。


私はこの両方が必要だと考えています。

現代のトレーニングと、日本に古くから残る身体操作。

どちらかを否定する必要はないと感じています。

むしろ現代科学によって身体内部の仕組みを理解しながら、

古くから伝わってきた身体の扱い方を実際に身体で検証してみる。

その両方を行き来するところに、これからの身体づくりの面白さがあるのではないでしょうか。



自分の「力み」は、自分では気づきにくい


ここまで読んで、

「では、余計な力を抜けばいい」

と思うかもしれません。


しかし、ここに身体の難しさがあります。

自分が当たり前に使っている力は、自分では余計だと感じていないのです。

肩を上げる癖がある人にとっては、それが普通です。

踏ん張る癖がある人にとっては、踏ん張らない状態の方が不安に感じます。

腕を固めて力を出してきた人にとっては、腕を固めないと「力が出ていない」ように感じます。


つまり、

身体の中で感じる「頑張っている感覚」が、

必ずしも効率の良いアウトプットを意味するわけではありません。


これはトレーニング指導をしていて非常に面白いところです。

少し立ち方を変える。

足の置き方を変える。

肩の位置を変える。

力を入れる順番を変える。

呼吸を止めないようにする。


あるいは、本人が「力を入れなければ」と思っていた場所から少し力を抜いてみる。

すると、

「さっきより力を入れていないのに、こっちの方が強い」

ということが起こります。


この経験は非常に重要です。

なぜならそこで初めて、

「力を感じること」と「力が伝わることは違う」

ということを、知識ではなく身体で理解できるからです。



一度、自分の身体で試してみる


簡単な実験をしてみてください。

壁に両手をつき、壁を押します。

まずは思い切り力んでみます。

肩を固めても構いません。

腕にも力を入れます。

「強く押そう」としてみてください。


そのとき、自分の身体のどこが硬くなっているか観察します。


次に一度力を抜きます。


今度は手だけで壁を押そうとせず、足が床に触れている感覚を確認します。

足、脚、骨盤、体幹、肩、腕、手。

身体全体が一つにつながり、床から壁まで力の通り道ができるようなイメージを持ってみてください。


そして必要以上に肩をすくめたり、歯を食いしばったりせずに壁を押します。


どちらが正解かを探す必要はありません。


重要なのは、

「どこに力を感じるか」

そして、

「どのように力が伝わっているように感じるか」


この二つを分けて観察することです。

これだけでも身体に対する見方が少し変わるはずです。



強さとは「どれだけ力めるか」だけではない


私たちは「強い身体」と聞くと、大きな筋肉や大きな筋力を想像しがちです。

もちろん、それも強さです。

しかし日本古来の身体操作や武術を学んでいくと、それとは少し違った強さが見えてきます。

相手とぶつからない。

必要以上に固まらない。

自分の身体だけで力を完結させない。

地面や重力、身体の構造を利用する。


そして必要な力を、必要な瞬間に、必要な方向へ伝える。

そう考えると、

強さとは「たくさん力を入れられる能力」だけではなく、

「持っている力を適切に扱える能力」でもある

と言えるのではないでしょうか。



「力を入れる」から「力はどこへ行くのか」へ


筋肉が収縮する。

筋節ではアクチンとミオシンが相互作用し、サルコメアが短くなり、Z線同士の距離が近づいていく。

これは身体の中で起きている重要な現象です。


しかし、人間の運動はそこで終わりではありません。

その筋収縮によって生じた力を、

どこへ向けるのか。

どの関節を通すのか。

地面とどう関係するのか。

身体全体をどうつなげるのか。

そして、どこで余計な緊張によって止めてしまっているのか。


そこまで考えて初めて、「身体を使う」という話になってきます。

だから私は身体を指導するとき、

「もっと力を出そう」

という方向だけではなく、

「今ある力を、どうすればもっと自然に外へ伝えられるだろうか」

という方向からも身体を見ています。


筋肉を鍛えることは大切です。

しかし、それと同じくらい、

鍛えた身体をどう使うのか。


そこを学ぶことも大切です。

そして、この「身体の使い方」という領域に、

日本に古くから残されてきた武術や身体文化から学べることが、まだたくさんあると私は考えています。


力を入れることだけが、力を出すことではない。

筋肉が収縮していることだけが、アウトプットではない。

身体の中に生まれた力を、身体の中だけに「こもらせる」のではなく、目的とする場所へ伝えていく。



「どれだけ力を入れたか」から、「その力はどこへ行ったのか」へ。


この視点を持つだけでも、トレーニング、スポーツ、

そして日常動作おける身体の見え方は大きく変わってきます。


そして、この違いは文章で理解するだけでは十分ではありません。

実際に立ち、触れ、押し、動いてみる。

自分では力を抜いたつもりなのに、まだ残っている緊張に気づく。


逆に、「こんなに力を抜いて大丈夫なのか」と思った状態の方が、相手には大きな力が伝わることを経験する。


そうした小さな身体の発見を積み重ねることで、

「力を出す身体」から、「力を伝えられる身体」へ。


身体に対する考え方そのものが、少しずつ変わっていくのだと思います。



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「分かる」から、自分の身体で確かめるへ


この記事を読んだ後は、ぜひ壁を押す実験を試してみてください。


力いっぱい押したときと、肩や腕の余計な緊張を減らし、足元から手まで身体をつなげて押したとき。

どこに力を感じるのか。
どこで力が止まるのか。
力を入れていないように感じるのに、以前より強く押せることはあるのか。


自分の身体で比べてみると、「力を感じること」と「力が伝わること」の違いが少しずつ見えてきます。


もし、

「力を抜くと弱くなってしまう」
「身体のどこで力が止まっているのか分からない」
「地面から手まで力を通す感覚を知りたい」

と感じた方は、SNSのコメントやお問い合わせから、ぜひ感想や疑問をお聞かせください。


いただいた質問や、実際に試したときにつまずきやすいポイントをもとに、

今後は「力が伝わる身体」をつくるための実践編もまとめていく予定です。


身体の力みや癖は、自分では当たり前になっているため、一人では気づきにくいものです。


目黒、不動前のパーソナルトレーニング、ADP PERSONAL STUDIOでは、

日本古来の身体操作をヒントに、余計な力みを減らし、持っている力を効率よく伝える身体の使い方を、

実際に動きながらお伝えしています。


文章で理解した身体操作を、今度は自分の身体で確かめてみませんか。

▶︎ パーソナルトレーニングの詳細・ご予約はこちら



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